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津地方裁判所 昭和46年(行ウ)1号 判決

原告 新谷秀記

被告 三重県公安委員会

訴訟代理人 榎本恒男 森国俊雄 木村三春 ほか六名

主文

一  原告の主たる請求を棄却する。

二  原告の予備的請求に基づき、被告が原告に対し昭和四六年一月二五日付をもつてした自動車運転免許の取消処分を取消す。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

(主たる請求について)

後記予備的請求についての理由において説示するとおり、原告が道路交通法八八条一項二号所定の精神薄弱者に該当するとして、被告において同法一〇三条一項に基づいてした本件運転免許取消処分には、処分要件の認定を誤つた違法の瑕疵があるものというべきであるが、右瑕疵が明白なものとまでいうことはできず、又、原告は、本件取消処分が適正な法律手続を欠く旨主張するが、後記認定のとおり、右処分は法律の規定に基づいて取消されたものであり、仮に手続に何らかの違法の点があつたとしても、右瑕疵が明白なものといいえないことは明らかであり、又、精神薄弱の定義については多岐にわたるのであるが、精神薄弱の意義を後記説示のとおりに解するにおいては、精神薄弱者による自動車の運転が自己又は他人の生命、身体、財産に回復困難な被害の発生をもたらすことは経験則上十分に予想しうるところであつて、原告の指摘する道路交通法八八条一項二号、一〇三条一項の規定は何ら不当不法のものではなく、従つて精神薄弱者に免許を与えないからといつて、右道路交通法の規定が憲法一三条、一四条、二二条に違反するものとは認められないから、本件運転免許取消処分の無効確認を求める原告の本件主たる請求は理由がない。

(予備的請求について)

第一訴の適否について

被告が昭和四六年一月二五日付の通知をもつて原告の普通自動車及び自動二輪車並びに大型貨物自動車第一種の、各運転免許の取消処分をしたことは当事者間に争いがなく、原告が同年四月一六日付で本件無効確認訴訟を提起し、同年六月三日の口頭弁論期日に本件取消訴訟を予備的に追加したことは本件記録上明らかである。

ところで、行政処分等の取消訴訟と無効確認訴訟とを対比するに、右処分等に瑕疵が存在するときは一般に取消原因となり、その瑕疵が重大かつ明白なときには無効原因となるにすぎず、従つて、後者は前者を包含しているものと解すべきところ、本件記録によれば、本件無効確認訴訟も本件取消訴訟も不服の対象となつている行政処分は同一であり、そこで主張されている瑕疵も同一である(もとより無効確認請求には重大性と明白性の主張がなされている。)から、本件無効確認訴訟の提起後に予備的、追加的になされた本件取消訴訟の出訴期間の遵守の有無については、先きに提起された無効確認訴訟提起の時を基準としてこれを判定すべきものと考える。

そうすると、本件無効確認訴訟は、本件処分の通知のあつた日から三か月以内に提起されているから、本件取消訴訟は出訴期間の遵守に欠けるところはなく、適法なものというべきである。

第二本案について

一  請求原因1、2〔編注:自動車運転業務に従事していた事実、運転免許取消処分の存在〕はいずれも当事者間に争いがない。

二  次の事実は原告が明らかにこれを争わないから自白したものとみなす。

原告は、昭和四四年七月九日早朝京都市伏見区下鳥羽平塚町五八番地先国道一号線路上交差点において交通事故を起こし、昭和四五年には速度違反と追越禁止違反をしたため、処分前歴一回違反累積点四点となり、道路交通法施行令三八条一項二号イにより同年九月二五日免許の効力停止九〇日の処分を受け、同月三〇日及び同年一〇月一二日の二日間にわたり道路交通法一〇三条九項による講習を受けたが、右講習の一課程として受講した運転者の性格等に関する適性検査(科学警察研究所編)の判定値が五段階中の最低段階の〈1〉ときわめて低く、更に観察要目(チエツクリスト)による観察がなされた結果、精神薄弱の疑いがもたれ、同法一〇二条一項による臨時適性検査が実施され、同法一〇四条四項に基づく被告の指定医師野村純一(三重県立大医学部)による検査の結果、軽症魯鈍級の精神薄弱と診断され、昭和四六年一月二五日被告から同法一〇三条一項、八八条一項二号による本件運転免許取消処分を受けた(本件取消処分を受けたとの点は当事者間に争いがない。)。

三  そこで、原告が右精神薄弱者と認められるか否かにつき判断する。

1 道路交通法八八条一項二号所定の精神薄弱者の概念について

(一) 精神医学上の精神薄弱者の概念について

(1) 概観

〈証拠省略〉によれば、精神薄弱の概念については、次のようなさまざまの立場が認められる。

イ 知能指数(IQ)による定義

一九〇五年、フランスのビネー(A. Binet)とシモン(Th. Simon)は、ビネー・シモン式知能検査と称される知能テストを考案し、右テストの結果から一定値以下のIQの者が精神薄弱と定義され、その後、アメリカ等で、この方法による定義、診断がかなりの期間普及した。

この場合、IQいくつ以下を精神薄弱とするかで異つた定義が行なわれるが、最も代表的なものとしては、アメリカのターマン(L. M. Terman)が一九一六年に前記ビネー・シモン式知能検査を修正、発展させて完成したスタンフオード・ビネー・テストによるIQ七〇以下を精神薄弱とする定義がある。

この定義の問題点としては、次のような点があげられる。

a 知能テストの結果と社会生活能力とは必ずしも対応しない。

b IQが変動することは衆知のところであるが、精神薄弱を恒久的遅滞とみなすならば、変動するIQで定義することには矛盾がある。

c 知的発達は正常でも、環境的あるいは情緒的要因などで知能検査の得点が低く出ることがある。

ロ 社会生活能力による定義

IQによる定義に対し、社会生活能力によつて定義するという立場もある。

一九〇四年、イギリス王室委員会は、「適当な環境におけば生計できるが、先天性の、又は乳幼児期からの精神障害により、第一に正常な人々と競争できず、第二に普通の思慮によつて自己及び身辺のことがらを処理できないもの」を精神薄弱とした。

トレツトゴールド(R. F. Tredgold)もこのような立場に立ち、精神薄弱の診断基準として知能検査や学力検査を用いることを認めず、環境に適応する能力、独立自活する能力の劣弱のみを唯一の基準とすべきであるとする。

この定義による問題点としては、次のような点があげられる。

すなわち、社会生活能力が劣ることの原因には、性格的な原因、政治的あるいは社会的な原因など種々のものがあるはずで、それらを区別することなしに社会生活能力の劣つている者をすべて精神薄弱と定義することは妥当ではないということである。

ハ ドルの定義

ドル(E. A. Doll)が一九四一年に提唱した精神薄弱の概念には、次の六つの基準が含まれていて、社会生活能力と知的能力との二つの面から定義されている。

a 社会生活能力が欠如していること。

b 知的能力が劣つていること。基本的には知能検査によつて測定される。

c 精神発達が水準以下で停止すること。

d 遺伝的なものであれ、損傷あるいは病気によるものであれ、素質的なものに起因するものであること。

e 発達の結果その状態から脱出するような問題ではなく、成熟の過程で現われてくるものであること。

f 本質的には治療不可能であること。

右ドルの定義によれば、精神薄弱の概念基準として社会生活能力と知的能力の両方が欠如していることが必要となる。

二 WHO(世界保健機構)の定義

一九五四年、WHOは、精神薄弱を「精神能力の全般的発達が不完全若しくは不十分な状態」と定義した。右定義においては、知能を判断基準の要素として採用し、その手段としては知能検査の結果によるIQが用いられるが、知能のみにこだわらず、全人格的水準をも考慮して、精神薄弱か否かを判定するものとされる。

ホ AAMD(アメリカ精神薄弱協会)の定義

一九五九年、AAMDは、精神薄弱という用語を避けて、精神遅滞という用語を採用し、この概念は、従来使われてきたアメンチア、精神薄弱、精神欠陥、精神的水準以下、白痴、痴愚、魯鈍等の概念に包括されているすべての意味を含んでいるものとされ、次のように定義づけられた。

「精神遅滞とは、発育期中に始まる、社会適応行動の障害を伴つている一般的知能機能の水準以下のものを指していう。」

右定義にいうところの「平均的水準以下の一般的知能機能」とは、一般的知能を測定するための適切な客観的テストの成績が平均より一標準偏差値以上低いものをいい、前記スタンフオード・ビネー・テストではIQ六八以下のもの、ヴエクスラー・テストではIQ六九以下のものを意味するものとされる。

「発育期」の上限は、およそ一六才までと考えられている。

「適応行動」は、成熟、学習、社会適応の三つの要因からとらえられ、坐つたり、歩いたり、話したりといつた感覚運動機能に関係のある成熟は、乳幼児期の適応行動の重要な基準であり、知的教科の学習は学齢期の、又社会適応は成人期の、それぞれ重要な基準となる。

右定義は、精神遅滞と知的機能と適応行動という二つの面から規定しようとするもので、前記ドルの立場と共通しているが、一方、次の点で鋭く対立している。すなわち、ドルにおいては、精神薄弱の原因は素質的なものであるとされ、真の精神薄弱は本質的に治療不可能とされるのであるが、AAMDの右定義においては、精神遅滞をもたらした原因及び遅滞が恒久的なものか一時的なものかという点は全く除外され、現在の症状のみが問題となるのであり、従つて、精神遅滞の診断には、患者の生活史も予後も考慮する必要がないことになる。

もつとも、ドルは、一九四七年に精神薄弱と知的遅滞とを区別し、後者においては素質的原因を持たず正常な社会生活能力を獲得する可能性があるという見解を公にし、さらに一九六二年にはAAMDの右定義を容認し、ただ、精神遅滞の中には、前記ドルの主張する精神薄弱が含まれると主張した。

ヘ 生物学的定義

ソ連(ソヴイエト社会主義連邦共和国)の欠陥学派の一人ルリア(A. R. Luria)は、「精神薄弱児とは、胎児期か乳幼児期に重い脳の病気にかかり、そのため脳の正常な発達が阻害され、精神発達に重大な異常をさたした子供である」といい、ここにおいては、精神薄弱の概念は、前記AAMD等の定義に比し、ずつと狭い範囲に限定されている。

ト 文部省における定義

養護学校等における特殊教育の対象とされる精神薄弱者の概念等を規定してきた昭和二八年六月八日文初特第三〇三号文部事務次官通達によれば、精神薄弱の概念は次のようなものとされている。

種々の原因により精神発育が恒久的に遅滞し、このため知的能力が劣り、自己の身辺のことがらの処理及び社会生活への適応が著しく困難なものを精神薄弱とする。そして、IQの値五〇ないし七五程度以下の者が右に該当する旨が参考として付加されているが、右の定義は、前記ドルの考え方と密接な関連があるものとされる。

もつとも、右通達は、学校教育法等の一部を改正する法律(昭和三六年一〇月三一日付法律第一六六号)、学校教育法施行令の一部を改正する政令(昭和三七年三月三一日付政令第一一四号)等が制定され、改正後の学校教育法七一条の二、改正後の学校教育法施行令二一条の二によつて精神薄弱者の心身の故障の程度が定められたことに伴い、昭和三七年六月一九日文初中第二五四号文部事務次官通達によつて失効することが明らかにされ、なお、改正後の学校教育法七一条の二及び同法施行令二二条の二によれば、精神薄弱者の概念は、精神発育の遅滞の程度が中度以上のもの及び精神発育の遅滞の程度が軽度のもののうち、社会適応性が特に乏しいものと規定され、昭和三七年一〇月一八日文初特第三八〇号文部省初等中等教育局長通知によれば、右「精神発育の遅滞の程度が中度以上のもの」とは痴愚、白痴程度の精神薄弱を、「精神発育の遅滞の程度が軽度なもの」とは魯鈍程度の精神薄弱をそれぞれ指し、右「白痴」とは、言語をほとんど有せず自他の意志の交換及び環境への適応が困難であつて、衣食の上に絶えず保護を必要とし、成人になつても全く自立困難と考えられるもの(IQによる分類を参考とすれば二五ないし二〇以下のもの)、「痴愚」とは、新しい事態の変化に適応する能力が乏しく、他人の助けによりようやく自己の身辺のことがらを処理しうるが、成人になつても知能年令六、七才に達しないと考えられるもの(IQによる分類を参考とすれば二〇ないし二五から五〇の程度)「魯鈍」とは、日常生活にさしつかえない程度にみずから身辺のことがらを処理することができるが、抽象的な思老推理は困難であつて、成人に達しても知能年令一〇才ないし一二才程度にしか達しないと考えられるもの(IQによる分類を参考とすれば、五〇から七〇の程度)と説明されている。

(2) 右各概念規定をめぐる最近の日本の状況

〈証拠省略〉によれば、次の事実が認められる。

西谷三四郎は、一九六五年、文部省心身障害児の判別と就学指導講習会において、前記AAMDの定義を中心とした新しい精神薄弱の概念を紹介し、特に、「恒久的に」とか「素質的に」とかの概念規定に批判を加え、「第一に、恒久的遅滞というものは予後に関することであつて、精神薄弱は必ずしも予後不良を示すものではなく、第二に、実際的立場からみると、精神薄弱についての研究が進むにつれて、治療可能のものも現われ、又教育によつて改善され、社会的適応の十分得られるものもある。」とし(文部省「心身障害児の判別と就学指導」一九六五)、田中昌人は、発達の無限の可能性という観点に関連して右西谷三四郎の主張に賛意を表し(田中昌人他「障害児研究の基底」、『児童心理学の進歩』、一九六七、金子書房)、小池清廉らも同旨の見解を示し(小池清廉他「精神障害」、『リハビリテーシヨン医学全書22』、医歯薬出版、〈証拠省略〉。小池清廉「現代における精神薄弱概念からみた新谷秀記氏の診断に関する意見書」、〈証拠省略〉。)、斉藤義夫は、AAMDの定義に基本的に賛成しながら、精神遅滞と精神薄弱とは区別されるべきであるとして、むしろ前記ドルに近い見解を示し(斉藤義夫「生活学習の清算と教育方法の系統化」、『精神薄弱児研究』一二月号、一九六九、日本科学社)、山口薫は、現象-実体-本質の三段階説を参考としながら、AAMDの定義の批判を試み(山口薫「就学時知能検査と事後指導」、『精神薄弱児研究』二月号、一九七〇、日本文化科学社)、岸本鎌一らは、AAMDの定義を若千修正して、「精神薄弱とは、種々の原因による症状名で、発育途上に始まる適応と生産行動の障害並びに身体、神経障害を伴つた平均値以下の知能を持つたものをいう」とすべきであるとし(岸本鎌一ら「精神薄弱の医学」金原出版、〈証拠省略〉)、佐野勇は、前記昭和二八年六月八日文初特第三〇三号文部事務次官通達による文部省の定義に従うのが常識であろうとし(佐野勇「精神薄弱の原因」金原出版、〈証拠省略〉)、なお、三浦岱栄らは、精神薄弱を、先天的な原因あるいは早期後天性(特に出生時より言語発達期までの間)に加わつた脳損傷により知能の発育制止が起り、同じ年令層の普通人に比べて知力の劣つている状態をいう、とし(三浦岱栄ら「現代精神医学」文光堂、〈証拠省略〉)、村上仁らは、前記AAMD若しくは文部省の各定義を引用したうえ、社会的適応能力の困難性という点からの定義の必要なことを指摘し(村上仁ら「精神医学」医学書院、〈証拠省略〉)、笠松章は、精神薄弱とは、普通、種々の原因により、知能の発達が持続的に遅れ、劣つている状態を総称している、として、知能障害が精神薄弱の中心的な症状であることを指摘する(笠松章「臨床精神医学II」中外医学社、〈証拠省略〉)。

そして、〈証拠省略〉によれば、近時の日本の精神医学界においては、前記ルリアのような立場は広く承認されるまでに至つておらず、知的能力だけ、あるいは社会的適応能力だけを考慮する立場を取る者も少数で、知的能力と社会的適応能力との両者を考慮する立場を取る者が多数であることが認められる。

(二) 道路交通法八八条一項二号所定の精神薄弱者の概念について

道路交通法八八条一項二号所定の精神薄弱者の概念が右精神医学上の精神薄弱者の概念を前提にしていることは、同号の文理上明らかであるが、前記精神医学上の相対立する諸概念のいずれを前提としているのかを次に検討する。

さて、道路交通法が精神薄弱者等を運転免許欠格者とした趣旨は、道路交通の安全の確保にあると解され、従つて、右欠格者とは、具体的な道路交通の場面において、客観的状況を正しく認識し、右認識に基づき当該状況に応じた安全適正な行動(運転操作)を決定し、右決定をすみやかに実践しうる能力に欠けると思われる者をいうと解すべきところ、右は、すなわち、道路交通の場面という特殊な社会環境において、状況を的確に認識し、他者との関係を正常に処理しうる能力が要請されているということにほかならない。

このように考えると、前記精神医学上の諸概念のうち、ルリアらのいう生物学的に定義された精神薄弱を含むことは当然であるが、道路交通法上の精神薄弱をそのように狭く限定された概念に限る必要はないばかりでなく、知的能力(IQ)のみによつて定義する立場や社会的適応能力のみによつて定義する立場は、右のような道路交通法上の要請の一部を考慮して他を考慮しないという点において妥当でなく、道路交通法上の概念としては、知的能力と社会的適応能力との両者を概念規定の中に含む、前記ドルの立場や、WHO、AAMD、文部省等の立場を妥当なものとして採用すべきものというべきである。

そして、このように解することは、前説示のとおり、精神医学界における多数説である知的能力と社会的適応能力との両者を考慮する立場を採用することともなり、制定法がある専門概念を使用していて、右概念の内容について当該専門分野で争いがあり、未だ一義的に確定していない場合の合理的な解釈として是認すべきものと考えられる。

2 右のような精神薄弱概念を前提として、原告が精神薄弱者といいうるか否かを順次検討する。

(一) 原告の生立ち、職歴

〈証拠省略〉によれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

原告は、昭和一六年八月父俊一、母たまへの二男として名古屋市で出生した。鉗子分娩で生れ、人工蘇生術を受け、生後も乳量不足のため発育がよくなかつた。父は郵便局勤務で経済的には普通であつたが、飲酒にふけり家に居ないことが多く、原告が一歳八か月のころ出征し、原告及び母は熊野市の父の実家に疎開した。このころ、原告は栄養不足で風邪をひき発熱もしばしばあり、中耳炎にかかるなどして耳がやや遠くなつた。父は終戦後帰国し、一時郵便局に勤めたが、まもなく退職し、その後は定職に就かず、家計をかえりみず飲酒にふけり、母が魚の行商をして一家の家計を支えた。原告は小、中学校時代、身体が弱く、気管支喘息にかかり、酒乱の父におびえ、学業成績は悪く、自発性や積極性にも欠けていたが、怠けることなく通学し、集団内では比較的よく他人と協調し、学校生活には適応していた。なお小学校時、田中B式知能検査の結果偏差値二〇を取つている。幼、少年時を通じ、母との間の愛情関係は良好の状態であつた。昭和三二年に中学校を卒業すると、父と共に山仕事をしたが、まもなく叔父をたよつて三重県度会郡南島町に移り、叔父のもとで土工をした後普通自動車運転免許を取つて小型ダンプカーの運転手となり、昭和三九年母とともに鈴鹿市に転居し、大型自動車免許を取つて大型自動車運転手として稼動し、昭和四四年から丸大急送株式会社でタンクローリーの運転手をし、本件処分後は運転助手として働き、現在に至つている。なお昭和四七年には危険物取扱責任者試験丙種に合格した。右タンクローリーの運転手としての仕事は、四日市市にある石油会社の油槽所で、注文主からの伝票(受領書納品書)に指定されたとおりの重油を積込み、注文主の工場等に運び、指定された量をタンクローリーからタンクに注入し、納品するというもので、この間原告には初歩的ミス以外に重大なミスはなかつた。原告の給料額は手取り約六万円前後であつた。

ところで、被告は、原告の知能を含む精神能力全般の発達が幼、少年期において停止した旨主張するところ、右事実によれば原告の幼、少年期の知的能力、学業成績がかなり低い水準にあつたことは否定できない。けれども、それは右家庭環境に影響された面があるものとも考えられ、とりわけ中学校卒業後社会人となつてからの稼動状況等に照らすと、被告の右主張を直ちに肯定するわけにはいかない。

(二) 原告の事故歴、交通法令違反

前記のとおり、原告は、昭和四四年七月九日に京都市で交通事故を起こしたが、〈証拠省略〉によれば、右は、交差点で信号が黄色に変つたのでブレーキを踏んだところ折からの降雨のために濡れた路面で車体が回転して横滑りし、車体矯正のためのハンドル操作も及ばず、水銀灯にぶつかり、民家のブロツクべいに衝突し、同乗していた助手に加療約三週間を要する頸部裂傷等の傷害を負わせたというものであることが認められ、次に、〈証拠省略〉によれば、原告は、昭和四一年九月一一日愛知県海部郡飛島村大字飛島新田地内において大型貨物自動車を運転中、法定速度を一五キロメートル超過する速度違反をし、同年一一月二八日桑名市新屋敷南地内陽和中学校前において大型貨物自動車を運転中、指定追越禁止場所であるにもかかわらず先行車輌を追越し、右同日名古屋市港区いろは町五の一六地内において大型貨物自動車を運転中、積載制限六、〇〇〇キログラムを一、八四〇キログラム超過する積載重量超過違反をし、昭和四二年三月六日同市港区いろは町五の一七地内において大型貨物自動車を運転中、積載制限六、〇〇〇キログラムを二、八四〇キログラム超過する積載重量超過違反をし、昭和四五年七月一九日四日市市雨池町地内名四国道上において大型貨物自動車を運転中、法定速度を二一キロメートル超過した速度違反をし、同年八月一八日鈴鹿市寺家町地内国道二三号線路上において普通乗用車を運転中、指定追越禁止場所であるにもかかわらず先行車輌を追越したことが認められる。

右事実によれば、右事故や違反が大型免許を取得してから本件取消処分に至る約四年の短期間に行われている点を問題とする余地はあるが、前記京都市の交通事故は、結果はともかくとしても、過失の程度はそれほど大きいものとは考えられないし、積載重量超過違反、速度違反及び追越し違反の点も直ちに運転適性を云々しうる程のものではない。

(三) 運転適性検査の結果について

〈証拠省略〉によれば、原告に対する本件運転適性検査については、科学警察研究所編運転適性検査六六-一が用いられ、原告は、前記のとおりその判定値が最低段階の〈1〉であり、自動車の運転作業に不向きである旨の検査結果の出たことが認められるが、〈証拠省略〉によれば、本件運転適性検査は、事故を起こし易すい運転手を簡易かつ適正、迅速に発見し、その後の指導、教育等に資するための検査であり、右検査に用いられた前記六六-一は、動作の正確さ、動作の速さ、知的能力(精神的活動性)、衝動抑止性、情緒安定性の五点について被験者の特性を調べる、いわゆる心理テストであり、心理学者とか精神医学者とかの専門家でない警察技術吏員を試験官として、大量の被験者に対して実施することを予定しているものであることが認められるところ、右事実からも明らかのように、右検査は、本来運転適性の有無を調べるための適性テストであり、被験者が精神薄弱か否かを直接に調査することを目的とするものではなく、内容的に知能テスト、性格テストの要素があるが、右のとおり、非専門家による集団的なものである以上、知能及び性格について、被験者の一応の傾向、特徴をつかむうえでの参考資料とはなりうるとしても、それ以上に精神薄弱であるか否かを判定するについてどのような性格をもつ検査であるのか明らかではない。

(四) 観察要目(チエツクリスト)による観察の結果について

〈証拠省略〉によれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

観察要目は、医学的知識の豊富でない警察職員が現に自動車の運転に従事している者の中から精神病者などの欠格事由に該当する者を発見し、道路交通法一〇二条一項の規定する臨時適性検査としての精神科専門医師の診断の要否を決定するためのもので、異常な行動についての記述(行動記録)及び特異な行動のチエツク(精神的身体的徴候のチエツク)の総合判定により行なわれる。本件においては、三重県警察本部交通部運転免許課警察技術吏員山岡晃によつて右観察がなされ、「首相の名を知らない。」「最近の大事件を知らない。」「簡単な字が書けない。」「簡単な計算ができない。」という四点がチエツクされ、右山岡は原告を正常とも精神薄弱ともいえぬ旨判定した。

右事実から、原告が専門医の診断を要するものと認められるにしても、右観察の目的に照らして、原告が精神薄弱に該当するとの最終判断を下しうるものではない。

(五) 被告公安委員会指定医の診断について

〈証拠省略〉によれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

被告公安委員会が、道路交通法施行規則二九条の四、第一項一号による精神衛生鑑定医であつて、かつ、道路交通法一〇四条四項の規定により昭和四三年七月三〇日付三重県公安委員会告示第一六号をもつて指定した三重県立大学医学部精神科医師野村純一は、被告の依頼により、昭和四五年一一月二六日、三重県警察本部交通部免許課(三重県自動車運転免許試験場)において原告に対する臨時適性検査を行い、前記山岡晃から運転適性診断表(〈証拠省略〉)及び運転不適格者調査表(観察要目が添付されている。〈証拠省略〉)を見せられて、同人から五分間程度口頭で説明を受けた後二〇分ないし三〇分間面接して問診した結果、外見的には特に異常を認めず、病的体験もなく、質問にもよく答え、仕事ぶりや対人適応に問題はなく、簡単な交通標識等は大体理解しているが、知的作業をやらせるとかなり不良で、「追越し」の「追」、「道路」の「路」の字が書けず、「臨時適性検査通知書」が読めないなど簡単な字の読み書きができず、「24×2」位の簡単な計算ができないと診断したうえ、原告が軽症魯鈍級の精神薄弱と考えられる旨結論を下し、なお、絶対的に運転が不適当という程のものではないとの意見を付した。

右事実によれば、原告における精神医学上の問題点は主に知能面にあることが窺われるにもかかわらず、脳波検査、知能検査がなされておらず(〈証拠省略〉によれば、前記運転適性検査の結果である運転適性診断表(〈証拠省略〉)によつて知能検査の代用としたことが認められるが、前記のとおり右診断表は、直接には運転適性を測るものであり、しかも非専門家たる警察技術吏員により、集団検査として用いられるものであるから、原告自身の知能測定の手段としては不十分たることを免れない。)、その他の心理テストもなされていないのであるから、前記読み書きの点と計算能力の点とから原告の知能を一定水準以下と判断したものと解さざるを得ず、右判断は、資料が不十分かつ一面的であつて、他の身体的所見、生育歴、職歴、性格等の点については問題点の指摘がないのであるから、結局、右信用性の薄い知能についての判断から原告が精神薄弱であるとの結論が導き出されたものと評価せざるを得ないので、右結論が妥当なものであるとはいい難いのみならず、〈証拠省略〉中の、前記昭和四五年一一月二六日、原告を精神薄弱と診断したことは必ずしも適当ではなかつた旨の証言に照らしても、右結論の妥当性には疑問をさしはさまざるをえない。

3 以上のとおりであるから、原告が精神薄弱者で自動車運転の作業に不適であるとの被告の主張は認めることができず、却つて、〈証拠省略〉は、原告の生育歴、身体所見には特に問題点はなく、精神所見については、判断力、理解力、事実の関連把握、感情面に特に問題はなく、計算能力、書字能力などが劣るのは後天的に獲得される知識の面に問題があつたもので本来の知能の欠陥を示すものではなく、思考過程にあつて時にまとめあげるなどの統合性に問題があつたが、これは思考に障害があるというより原告の劣等感、対人的な自信のなさによると考えるのが妥当であろうとし、脳波所見としては、九ないし一〇HZ、三〇ないし四〇μνのα波が基礎律動と考えられるが、その出現は十分でなく、又六ないし八HZの徐波混入が多く、全体的に不規則な脳波というべきで、一般成人の正常とされるものに比し未熟な要素を考えさせ、判定では境界程度のものとしつつ、てんかん要因はなく、著しい器質的障害も考えられないとし、大脇式選抜反応検査、労研式アメフリ抹消検査、矢田部ギルフオードテスト、ロール・シヤツハ・テストなどの心理テストの結果も特に問題点はなく、ウエスクラーベルヴユー法による知能検査の結果は第一回目が言語性IQ七〇、動作性IQ六八、総合IQ六七で、第二回目が言語性IQ七二、動作性IQ七八、総合IQ七五で、判定としては境界級であるとし、前記三2(一)で説示した原告の生立ち、職歴等の事実を前提として社会的適応性に障害がないものとしたうえ、結論として、原告の過去及び現在の精神状態において精神薄弱と診断せしめる所見は認められず、精神薄弱ではないとするものであり、〈証拠省略〉も、生育歴については、特定の遺伝性疾患の負因を推定する資料は得られず、生産時の体重が一貫二〇〇匁で鉗子分娩で生れ人工蘇生術を受けたが、現在の身体的、精神的症状からみて機械的圧力又は酸素欠乏による脳損傷の可能性は否定することができ、幼、少年期の家庭環境は悪く、学業成績も低かつたが母の愛護には恵まれ、その後の経歴には特に問題はなく、身体的所見にも異常は認められず、脳波所見については、九ないし一〇C/S、三〇ないし四〇μνの基礎波が認められ、閃光刺激、過呼吸賦荷及びメジバールの静脈注射による賦活で変化はないが、多数の五ないし七C/S中等度電位が散在して現われ、年令に対して高度ではない異常徐波を示すが、右はてんかん性のものではなく、又前記鉗子分娩等による脳損傷の可能性との関連も証明できず、精神所見としては、知覚、意識、記憶力、思考進行、感情、意志等は正常であり、WAIS式知能検査の結果によれば言語性IQ七四、動作性IQ七七、総合IQ七五で知能水準は平均知能の下位境界線付近であり、人格特性については、保持性が弱く情況場面の影響を受けやすく、発動性が強く軽はずみをするが、情性、構想性、精神運動性、顕示性、感受性、志向性等に問題はないとし、前記認定の原告の生立ち、職歴等の事実を前提として社会的適応性に障害がないとしたうえ、結論として、原告にどのような精神病若しくは精神病質の徴候も認められず、精神薄弱状態の存在も認められず、精神薄弱ではないとするものであり、右は、いずれも、前記道路交通法上採用すべき精神薄弱の概念に照らして妥当なものということができるから、右各証拠に照らして、原告は、道路交通法八八条一項二号所定の精神薄弱者に該当しないものと認めるのが相当である。

四  そうすると、原告が道路交通法八八条一項二号所定の精神薄弱者に該当するとして、同法一〇三条一項に基づいてなされた本件運転免許取消処分には、処分要件の認定を誤つた違法の瑕疵があるものというべきであるから、その余の点につき判断するまでもなく、本件運転免許取消処分の取消を求める原告の本件予備的請求は理由がある。

(結論)

以上のとおりであるから、本件主たる請求を棄却し、本件予備的請求を認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九二条但書、八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 白川芳澄 林輝 若林諒)

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